ICHIHAKU’s Note

自己探求への旅を続けよう

あの時ヘルメットを被っていたら。もしもの自転車事故に備えること。

妻の叔母が自転車で交通事故に遭い、意識不明になって2か月以上経ちました。

自動車に衝突されて頭を強く打ち、ドクターヘリで病院に搬送された時は瞳孔が開き瀕死の状態。一命はとりとめたものの未だに昏睡状態です。

叔母はいつも自転車で買い物に出かけていました。

あの時、ヘルメットを被っていたら、このような大きな怪我にはならなかったかもしれない。

そう思うと、残念で仕方ありません。

一瞬の交通事故によって、ささやかな家族の幸せが崩壊してゆくのを目の当たりにして、強く感じています。

そこで今回は、ヘルメットの必要性について考えたいと思います。

 

あってはならない事態が起きた

叔母は高齢にもかかわらず、病気の夫と障害者の息子の介護をしていました。年金暮らしとは言え、一家を支えてきた大黒柱だったのです。

決して楽な暮らしとは言えないでしょう。知的障害を持つ息子と病気で自宅療養中の夫を世話する日々。

買い物はいつも自転車で出かけていましたが、もしかしたらこの時が気分転換になっていたのかもしれません。いつもの通り道を横断中、目の前に走行してきた自動車と衝突してしまったのです。

この事故で家族のささやかな幸せが一瞬にして崩壊してしまいました。

事故の数週間前には元気な叔母と会っていました。帰り際に、叔母が姪である妻に「あなたが来ると花が咲くようだよ」って言った言葉が今でも忘れられません。

妻は最も頼れる姪として、これまで隣県に住む叔母の家族と行き来してきたので事故以来、家族の代理人、キーパーソンとして多忙を極める日々になりました。

これまで病院、警察署、加害者側の保険会社、介護施設などとのやり取りも大変でした。そして夫と息子は別々の施設へ、叔母は僕たちの住む市内の病院へと転院。

妻の精神的疲労も大きく、大切な家族の一人の交通事故がこれほどまでに周囲に大きな影響を及ぼしてしまうのです。

今回、僕たちは家族の交通事故を巡って、様々な問題点に直面してきました。解決への道のりはまだまだ先へと続いていますが、一歩ずつ前進しなければなりません。

叔母の家族を援助できるのは、僕たちしかいないのです。

今なお、なぜこんなあってはならない事態が起きてしまったのか理解できません。交通事故はそれだけ突然、一瞬にしてわが身に降りかかってくるということなのです。

 致命的な自転車事故

自転車事故による死亡原因の6割以上が頭部の損傷によるものと言われています。

2017年にKDDIが実施した「自転車のヘルメット着用に関する意識調査」によると、「かぶっていない」が9割超え、子供に「かぶらせていない」が7割を超えるという結果になりました。

ヘルメットを着用しない理由は、「着用が面倒」(52.8%) 、「義務化されていないから」(40.2%)、「必要性を感じない」(32.9%) との回答で、さらに子供にヘルメットを着用させない理由では、「義務化されていないから」が約4割。「子供が着用を嫌がる」、「必要性を感じない」が共に27.3%という結果になっています。

以前よりは子供にヘルメットを着用させる親が増えてきたとは言え、まだまだ一般的には安全意識の低い状況だと言えます。

「着用が面倒」というのは分かりますが、「義務化されていないから」という理由が多いことを考えると、ヘルメットの着用も法的に義務化を急ぐ必要があるのではないでしょうか。

自転車事故では、転倒による道路への頭部強打、自動車や塀などへの激突による損傷が大きくなります。自転車に乗車した時の頭の位置(高さ)を考えてみて下さい。自動車の横に並んだ時に、自転車の車体によっては自動車の窓の高さよりも高くなるのです。

その高さから転倒した場合の頭部のダメージはどれほど大きくなるか想像に難くないでしょう。

すべての自転車へ乗る方はヘルメットの着用を

最近ではスポーツ自転車(ロードバイククロスバイクなど)に乗る方も増えてきました。そうした自転車では速い速度に達することは容易ですし、たとえママチャリのようなスピードの出ない自転車でも万が一の事故に遭遇したら即転倒を免れません。

ましてやまだ路上にデビューしたての子供たちや、中高生にしてもまだ自動車の動きが読めないことによる事故が後を絶ちません。お年寄りもヘルメットを着用している方なんてほとんど見たことがありません。

こうした状況を踏まえ、自転車に乗る人はすべてヘルメットの着用を義務化すべきではないかと考えます。

その前にすぐできることは、誰もが自分や家族のためにヘルメットを被る習慣を身に着けて、周囲へ広めていくという行動が必要なのではないでしょうか。

もっと自転車に対する安全意識の高い社会になり、悲惨な事故がなくなることを強く願っています。