ICHIHAKU’s Note

自己探求への旅を続けよう

「停止した時間」交通事故から4ヵ月

以前、妻の叔母が自転車乗車中に交通事故に遭った記事を書きましたが、あれから4ヵ月、意識はまだ戻っていません。

先日、事故後初めて住人のいなくなった妻の叔母の家に行きました。妻の叔母の夫(病気で介護施設にいる)の自動車を処分するために、僕も一緒に同行したのです。

普段は妻と妻のお母さんが、叔母の夫の着替えや郵便物を取りに行ったり、施設へ顔を出したりしていました。

僕はこの春から仕事で忙しくて、事故後一度も行けなかったのです。

今回、妻の叔母の夫、つまり妻から見れば義理の叔父にあたるのですが、その叔父さんを僕たちの住まいの近くの施設へ引っ越しさせることになったのです。

それは本人の希望と、近くの方が妻も楽になるからという理由です。

そして、ついでにテレビも叔父の家から運び出し、僕らの近くにある引っ越し先の施設へと移動。今日は叔母の事故後はじめて叔父さんに会ってきました。

4ヵ月ほどぶりに会った妻の叔父さんは、身長171センチで体重が36キロ。痩せて筋肉もかなり無いに等しいほどでした。背中をさすってやったり足を揉んであげたけど、骨と皮ばかりの体で歩くのがやっと。

慣れない施設での生活と元々のわがままな性格で、施設のスタッフに文句を言っているそうだ。しかし、僕が顔を出した時には、嬉しかったようで「天使か神様が来たように見えた」と言ってくれました。

それくらいしばらく顔を出せなくて申し訳なかったです。

しかし、奥さんが意識不明で、障害を持つ息子とも、互いに離れ離れのところに居る状況で、僕たち以外に頼れる身内がいないことを思えば、気の毒になってくる。

あの事故で、加害者側の人たちは大して失ったものはないんです。賠償は保険会社に任せればあとはすべてやってくれるので、被害者の家族の悲惨さなんて想像することはない。しかし、被害者の家族は大きく人生を狂わせました。それに関わる親族も然り。妻も妻の母も、毎日のように関わって生きています。

 

妻の叔母の家族が数か月前に住んでいた家は、あの事故の日から時間が止まっていました。

年季が入りちょっと薄汚れた台所で、妻の叔母がお茶を入れてくれたうしろ姿を思い出します。