ICHIHAKU’s Note

自己探求への旅を続けよう

天空の里へ

以前ビジネスで知り合いになったHさんから、良い季節になったのでバイクで走って来ませんかとお誘いのメッセージが届いた。

 

もちろん二つ返事で快諾。なにしろ僕はバイク仲間が少ないから、誘ってくれる人なんて滅多にいないのだ。

それで、行く先はHさんにお任せし、幾つか提案されたルートの中から僕は秩父方面が良いと答えた。

しばらく足を運んでないし、バイクでも行ったことがない。それに秩父には学生時代の貴重な思い出がある。いつか再びゆっくりと訪れようと思っていた場所だった。

Hさんの提案で小鹿野町で有名な草鞋(ワラジ)トンカツを食べようということになった。それに付け加えて、僕が行きたい場所もプランに組み込まれた。

 

 

 遡ること大学三年生。当時、社会調査実習のフィールドワークが必修科目で、一番面白くて一番難易度の高い研究室を選択してしまったのだった。

何しろ噂では、Y教授の社会調査実習は一年間では履修完了のサインをくれず、四年生でも続けてなくてはならない。また四年生でもOKのサインがもらえず留年する先輩も実際にいた。

 

そんな実習をあえて選んだのは、やはり内容が非常に面白そうなので卒業までには卒論を書き上げられると思ったからだ。

僕ら4人の学生と人類学専門のY教授は、秩父吉田村の民宿を基点に各部落の家を一軒ずつ訪問して家系や祭りなどについて話を伺う調査を何度も重ね、調査内容と資料をもとに小論文を書いていく作業を続けた。

 

各自それぞれテーマを設定して書いていくわけだが、僕は今一つ面白い論文が書けなかった。Y教授に見せると「つまらない」と酷評され続けることを繰り返していた。

調査のために夜分に訪問して拒絶にあったり文句を言われたり、大変と言えば大変だった。

それでも吉田町での合宿調査は楽しくて、夏には沢蟹を取りに行って民宿で素揚げしてもらったり、村祭りに参加して地元の人々と杯を交わしてカラオケや踊りを踊って交流ができた。

 

いつも教授の車にみんなで乗り込んで、部落ごとに降りて調査を開始する。僕も運転を任されたが、とても運転が下手な学生もいて恐ろしい思いをしたことがある。今思えばよく教授も免許取り立ての学生にハンドルを任せたものだろうか。

 

そうやって車で細い山道を上がってゆくと信じらないような絶景が目の前に訪れた。

急斜面に張り付くように家々が薄いベールのような雲の中に建っている。この光景はもしかしたら夢だったのか。想像の産物なのか。今となってはだいぶ曖昧になっている。

それをいつか確かめたいと思っていた。

 

今回の秩父行きはそれを確かめる機会となるだろう。場所も地名も思い出すことができずに数年前、テレビで「天空の里」と言われるところが放映されたと聞いて、まさにそこだと思った。ありがたいことにそこまで分かれば、ネットで調べることも簡単だった。そこは皆野町上日野沢。廃校を利用したカフェ「天空の楽校」や「天空のおやき」など名物らしい。そこまで情報が得られたらもう行くしかない。

 

相棒のHさんも興味を抱いてくれたので、目指すは「天空の村」となった。

三連休の最終日は体育の日。僕は三連休ではないがこの日は前日まで雨天だったので絶好のバイク日和が予想された。しかし、太陽があまり顔を出さず寒々しい日となった。

 

午前7時過ぎに自宅を出発し一時間後に道の駅で相棒Hさんと合流。ルートの打ち合わせをして目的地でランチにしようということになり、時間が十分にあるので遠回りして行くことになった。山間部に入ると気温が16度。どうりで寒いわけだ。

 

スリーシーズンのライディングジャケットのインナーを外してきたことを後悔したが、余分に一枚ポロシャツを持ってきたので重ね着で対応できた。それでも二時間も走ると手がかじかみトイレも近くなる。

道の駅おかべから神流湖までの道のりは僕が先頭で走る。神流湖も思い出深い場所の一つだ。高校生時代、サイクリング同好会に入って初めての試練となった場所なのだ。

部活動の新入生歓迎ラン?だったかな。神流湖日帰り120kmのサイクリングは、途中でハンガーノッキングで死ぬ思いで帰宅した記憶がある。仲間の連中はたいしてへばっていなくて、よほど僕は体力がないのだろうかと自信を失った。

 

そんな思い出の神流湖をチラリチラリと横目にして、僕のBMW F650 STとHさんのYAMAHA FZ-1フェーザーはいくつもの登り道カーブをやりこなしていく。

久しぶりの神流湖。人造湖はやはり無機質な印象を受ける。ここで休憩する予定だったのでどこかドライブインのような場所があるかと思っていたが見あたらないまま湖が終わりに近いところまで来てしまった。

神流川のほとりで小休憩を鋏み、再び連続カーブをこなす。バックミラーにはHさんとすぐ後方に一台のオートバイが接近中なのがわかった。オートバイは僕らを抜き去り前方の車の追い越しに入った。けっこうな速度が出ているので走り屋だろう。

 

その後、前の車は左側に避けて速度を落としたので僕はウインカーを出しながら追い越す時に左手を上げて挨拶をした。

車のドライバーからすると後方に接近しているオートバイは脅威の相手となる。それが爆音を上げて抜いて行けば恐怖を感じぜずにはいられない。そんなことがわからないオートバイ乗りは車の運転免許を持っていないか、それを経験したことがない未熟なライダーに違いない。

車に乗っていると、左側から急に抜いていくオートバイや車と車の間をすり抜けて行くライダーに出くわすことがあるが、車からの視点にも立てる余裕が欲しいと思う。

 

上野村へ続く十石峠街道を恐竜センターの手前で左折して299号に入り峠道は続く。すれ違う車とオートバイの集団に気を付けて走る。事故はちょっとした気の緩みから起きるから油断ができない。

先が見えないブラインドコーナーでは視線をコーナー出口に集中し、進路上にある落ち葉や砂も同時に見ている。情報は目だけではない。音、気配も感じつつアクセルとブレーキ、ステアリングで微妙に修正操作をしている。

これらはすべて動物的な運動神経で行われているように思えるが、時に視界に入る風景に一瞬感動することもできる。

 

すれ違うオートバイの多くは十石峠を超えて長野へ向かうのかもしれない。僕たちは反対にルート299を小鹿野へ向かっている。峠を超えて下るにつれて気温が上がってきたのを感じる。民家も見えてくると気持ちも安らぐ。

アクセルをちょっと戻した時に足元のエンジン熱が一瞬滞留して生温かい風を作るので、気持ちが良い。ほんの一瞬の出来事であるが。

 

コンビニのホットコーヒーで体を温めて、しばし休憩を取ったらいよいよ「天空の里」へ向かう。細い峠道に入るとやはり「秘境」感が漂ってくる。

対向車が見えないので慎重に速度を控えて登って行くと、いきなり工事中の看板とガードマンに止められた。なんと連日の雨の影響で崩落があり通行止めだと言う。

いったん戻って皆野町からの逆ルートからでないと行けないということになった。

遠回りになるがせっかく来たのでここで諦めたくない。

だが思ったほど時間もかからず、日野沢へ向かうことができた。

 

道は細く車やバイクが少なくて良いと思っていたが、先を走っていたHさんのバイクが停止しているところに追い付くと、どうやら前方の車がすれ違いできなくて立ち往生し始めたところだった。Hさんのすぐ前の軽乗用車が後退を始めた。ちょっとやばいなと思ったが、Hさんもすぐに左側へ除けようとバイクを傾けようとした。バイクのマフラーが軽乗用のボディーに接触していて身動きが取れない。バイクはさらに左側へ傾き支えることができずに転倒してしまった。

 

幸いHさんに怪我はなかったが、車体にはいくつか大きな傷ができてしまった。二輪車は四輪車よりも弱い立場なので転倒するリスクは非常に高い。軽乗用車は後ろのバイクに気が付かずに接触したので、賠償をお願いして双方の合意が成立した。あとは保険会社から連絡が来るか心配だったがその日の夜のうちにHさんに電話があったと聞いて僕もほっとした。

 

初めての二人のツーリングで事故に遭遇し、Hさんには嫌な思いをさせてしまったなと心配だったが、物損事故のみで怪我もなかったのが不幸中の幸いと言えた。

今回のトラブルでまた経験値が増えた。

オートバイはいつでも車の後方にいる時は、退避できるスペースを設けること。車のドライバーからは視認されにくいという基本を忘れないようにすること。

 

気を取り直して僕たちは目的地の「天空の里」、天空の楽校に着いた。

ここは以前小学校だった建物をカフェに改装したそうだ。峠道のピークにあり、秩父の山々が見える素晴らしい場所だ。

僕たちは外のオープンテラスに座り、噂の天空バーガーを注文した。バンズに挟むものは選ぶことができる。豚の角煮天ぷらが挟んであるバーガーを注文した。なかなか珍しいハンバーガーである。

 

出来上がりを待つ間に、昭和のギャラリーなる昭和グッズが展示してある資料館とも言える部屋に入った。よくこれだけのものをコレクションしてあるなと感心する。

懐かしくて感動するのは80年代が思春期から青年だった世代くらいかもしれないが(笑)、とにかく世代に合致する人もそうでない人も一見の価値ありだと思う。

 

もっとゆっくりしたかったが、天空の楽校を後にして僕が学生時代に見た景観をHさんも見たいと言うので、工事で通行止めの所まで行けるだけ行ってみようということになった。

しかし、峠を吉田町側へ下り始めると間もなく通行止めに合い、記憶の中の絶景に合うことはできなかった。

 

やはりあれは夢の中の幻だったのか。オートバイを降りてこうして文章を打っていると何だか不確かな幻想を見ているような気持になってきた。つい数日前に日野沢村へ行ったことさえ幻のように思えてくる。

  

またいつか「天空の里」を訪れなくてはならない理由はできた。

記憶の中の絶景に再び会うまで、僕はオートバイに乗って奥秩父の村へ行くだろうと確信している。

 

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